最も有名な幽霊船「メアリー・セレスト号」
こんにちは、咲紗(サーシャ)です。
今回は、史上もっとも有名な未解決事件、幽霊船「メアリー・セレスト号」についてお話していきます。
幽霊船事件と言えば、この船の名前が真っ先に挙げられるほど有名な事件です。
1872年、ポルトガル沖で無人のまま漂流していたところを発見されました。
船の大きさは約30M、重さは約280tと大型の船だったそうです。
1872年11月、船長ベンジャミン・ブリックスとその妻と娘、7人の船員をのせて、大量の工業用アルコールを積み、イタリアのジェノバに向けて出港しました。
しかしジェノバにつくことなく、連絡は一切途絶え、船は消息不明となりました。
そして同年12月5日に、ポルトガル沖で漂流しているところを発見されたとのことです。
発見した船の乗組員がメアリー・セレスト号に乗り込んだところ、船にはだれ一人おらず、手すりには血痕とひっかき傷があったとのことでした。
食料や工業用アルコールはそのまま残されており、救命ボートは引きはがされていました。
船には目立った損傷もなく、テーブルには食事がそのまま残されていたとのことです。
結局現代にいたるまで、このメアリー・セレスト号事件は未解決のまま、乗員がどこへ消えたのか全く分かっていません。
航海日誌にも、何か事件らしいことがあったというようなことは何一つ書かれていませんでした。
船の状態から、嵐にあったとも考えにくいようでした。
なぜ、乗員たちは船を捨てて逃げなければならなかったのでしょうか?
例によって様々な憶測がなされたようです。
海賊に襲われたとか、外人の大好きなUFOに襲われた説とか、巨大なタコに襲われた説とか・・・・。
外人ってホントにUFO説好きですよねぇ・・・
この事件を有名にしたのは、おそらく、発見された当時、まだ食事が温かいまま、コーヒーカップからは湯気が出ていた、とか、つい先ほどまで人が生活していた様子があったという話からだと思います。
ところがこれは、どうやら後からつけられた話のようですね。
実際、十分な食料が残されてはいましたが、カップから湯気が出ていたなんていうのは明らかなデマのようです。
血痕とひっかき傷というのも、それだけでは何者かに襲われたということにはなりません。
有力な説としては、何らかの理由で、工業用アルコールが爆発すると思った船長が、救命ボートで全員と非難し、そのまま遭難してしまったのではないか、というものだそうです。
いずれにしろ、乗組員たちは非常に不幸な目にあったということが考えられます。
この世の中には、全く不思議な未解決事件がたくさんあります。
現代の科学技術でもって解決できるようになったものもたくさんあるでしょうから、個々の事件も何か新しいことが分かるといいですね。
なんにしても、海は怖いです。
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